今尾の左義長 本文へジャンプ
解説

県重要無形民俗文化財

今尾の左義長祭は、いつ頃から始められたかは明らかでないが、境外社、秋葉神社の創建以前からのことで、現存する旧記録によれば、明和四年亥正月(1767年)秋葉神社創建を尾州藩社寺方役所へ願い出、翌春正月認可を得、秋葉堂並びに諸人参詣所も滞りなく完成を見たことを記録しているのである。かくして、左義長火祭りが、今尾の春の祭りとして年々盛んになって行った。降って安政五年(1858)九代竹腰兵部少輔正美公の時、諸事万端倹約令により左義長を差止めたところ、その年また大火が起こり、秋葉神社付近で火が止まったので<再び左義長が許されて、火難災難厄除けの祭りとして再興。

出番を待つ左義長
各町内から吊り込まれた左義長は道路狭しと出番を待っています。
道路脇には露店が並んでいます。

境内に吊り込まれた左義長
いよいよ出番です。

境内へ吊り込み
若衆の着る長襦袢や白足袋は毎年町内ごとに新しく揃いの物がつくられ、各々化粧をこらし中年者が、拍子木や笛鉦を打ち鳴らし掛け声も勇ましく、先導をして境内につり込むのである。

火付け
やがて午後一時ごろには、地元の町内を真っ先に左義長が境内につりこまれると<宮司の手から神前の忌火が氏子総代の介添えによって、裃姿に威儀を正した年番代表の手にもつ、とりつぎ藁にうつされる。まちかまえる若衆は手に手に藁で火を受け左義長にうつすと、千本近い青竹から火炎は天を焦がさんばかりポンポンと爆竹の音が神域一杯にこだまして祭りは最高潮となる。

五穀豊穣
七分通り燃えたところで、その年の恵方の方へ倒しその倒れ方によって吉凶を占う